「広告表現はどこまで生成AIで自動化できるのか」#04
- 執筆者:
- 藤井 正則
前回の記事「生成AIと企業ブランディング」#03では、企業がブランド価値を損なうことなく生成AIを活用するには、透明性の確保やブランドガイドラインとの整合、人間による最終審査が不可欠であることを述べました。また、生成AIを「使えるかどうか」ではなく「どのように使うべきか」を検討すべきだと結論づけました。今回はその延長線上として、「広告表現はどこまで自動化できるのか」を考えます。
生成AIの進化により、広告表現の具体化(アウトプット)にかかる速度は飛躍的に高まり、従来、人間が時間をかけて積み上げてきた試行錯誤のプロセスが、いまや短時間で、しかも一定水準以上の精度で生成できるようになりました。では、広告表現の実務はこのままAIによってその役割を譲り渡していくことになるのでしょうか。それとも、最後まで人間の判断に委ねられる領域が残るのでしょうか。現場にいると、この問いはもはや仮定ではなく、日々の実務のなかで立ち上がりはじめているように感じます。
私の考えとしては、広告表現は「生成」まではかなり自動化できる一方で、「判断」と「責任」は依然として人間の領域に残ると考えています。そして、その境目こそが、これからのクリエイティブや法務の現場にとって、向き合うべき極めて重要なポイントになるのではないかと思っています。
AIは広告表現の「何を」自動化しはじめているのか?
現在の広告制作実務において、生成AIが大きな力を発揮しているのは、まず間違いなく「初稿生成」や「大量生成」の領域です。コピー案やトーン違いの表現を量産したり、構成の叩き台をつくったりといった、表現のバリエーション展開は、これまで人間が相当の時間をかけて取り組んできたものでした。ところが今では、AIがそれらをかなりのスピードで生み出せるようになっています。
この変化は、単なる業務効率化にとどまりません。広告表現における「試行回数」そのものを増やせるという意味で、創造のプロセス自体を変えつつあると言えます。従来であれば、一案出すだけで時間を要していたところが、今では複数の訴求軸、複数のトーン、複数の表現レベルを一気に比較しながら検討できる。これは、制作現場にとって非常に大きな恩恵です。
そのため、「表現の素案づくり」や「多角的なアプローチの提示」といった領域においては、今後もますますAIの実装が進んでいくでしょう。ここについては、もはや後戻りすることのない流れに入っていると考えてよいはずです。
自動化できるのは「作ること」であって、「通すこと」ではない
しかし、ここで見落としてはならないのは、広告表現の実務は単に「形にすること」で完結するものではない、という点です。実際の広告制作の現場で本当に難しいのは、それが世に出せるのか、違法性はないのか、ブランドを毀損しないのかを判断することです。
たとえば、あるコピーが景品表示法上問題ないかどうかは、文言だけでは決まりません。薬機法や医療広告の観点から適切かどうかも、単語単位で機械的に判断できるものではありません。媒体特性、商材特性、表示の位置、注釈との関係、受け手が受ける印象、比較対象の置き方、構図全体の見え方など、多くの要素が重なり合って、最終的な評価が決まります。
さらに広告実務においては、「媒体審査に通るか」「競合から指摘を受けないか」「炎上しないか」「ブランドらしさを損なわないか」という、法律だけでなく、実務面や倫理観など複数の観点を加味した判断が求められます。ここでは、単なる情報処理やパターン抽出だけでは足りません。最終的に必要になるのは、文脈を読み、責任を引き受ける判断です。
この意味で、生成AIは広告表現を「生成する」ことには優れていても、「各種審査を通す」ことまで自動化できるわけではありません。広告表現の実務で最後に残るのは、やはり人間の判断です。長くクリエイティブの現場を見てきた実感として、実務で真にクリエイティビティと専門性が問われるのは、表現を「出力する」瞬間そのものよりも、それを「社会に接続可能な形」へと昇華させる過程にあります。企画会議でも、撮影現場でも、編集の最終段階でも、一見よくできた表現ほど、「それは言い過ぎではないか」「その見せ方は誤解を生まないか」「ブランドとして本当にこのトーンでよいのか」といった問いが立ち上がります。広告表現は、完成した瞬間に終わるのではなく、社会に出してよい形へ磨き込まれて、はじめて実務の表現になるのです。
法律だけではなく、生活者からの「印象」と「受け止められ方」が問われる
広告表現の法務判断について、しばしば「条文に当てはめれば済む話」と見られがちです。しかし実際には、広告法務においてもっとも難しいのは、条文そのものよりも、生活者がどう受け止めるかという点にあります。
同じ文言の広告表現において、ある媒体では問題なく見えても、別の媒体では過度な断定や保証に見えることがあります。ある商材では単なる訴求にすぎなくても、別の商材では医療的効能を強く示唆する表現にもなり得ます。さらに、法律上ただちに違法とまではいえなくても、企業のブランドとしては避けるべき表現もあります。
ここで重要になるのは、生活者を単なる消費者やデータとしてではなく、複雑な感情や文脈、矛盾や葛藤を抱える存在として見る視点です。
博報堂DYグループが掲げる「生活者発想」も、まさにそのように生活者を全方位から理解し、想像・構想・実装を重ねながら未来を創造する哲学として位置づけられています。広告表現の自動化を考えるうえでも、この視点は非常に示唆的です。法律家の立場から見ても、広告表現の判断が難しいのは、まさにこの点です。契約書レビューであれば、文言の意味をできる限り確定し、条項ごとの効果を整理していくことができます。しかし広告表現は、言葉そのものだけでなく、配置、順序、ビジュアル、媒体特性、受け手の先入観まで含めて意味を帯びてしまう。法的知識に加えて、表現がどう読まれ、どう誤解され、どう期待を生むのかを見極める感覚が欠かせないのです。
AIは表現を生成することはできても、その表現が生活者にとってどのように読まれ、どのような期待や誤解を生み、どのような感情を喚起するかを、最終的に引き受けることはできません。そこで求められるのは、なお人間の責任ある意思決定です。
そのため、生成AIが高精度な表現を出力できるようになればなるほど、かえって「見た目にはもっともらしいが、本当に掲出してよいのか」という問題が大きくなります。品質が高いから安全なのではなく、品質が高いからこそ人は安心してしまう。この点は、前回の記事で触れた音楽生成AIの論点とも通底しています。表面的な完成度の高さは、ときに最大の落とし穴にもなり得るのです。
では、AIは広告表現に使えないのか?
もちろん、そういうことではありません。むしろ私は、生成AIは広告表現の実務において、今後ますます不可欠な存在になると考えています。ただし、それは「人間を不要にする代替者」としてではなく、人間の検討を加速し、選択肢を広げる推進力としてです。
たとえばクリエイティブの大量生成領域において、訴求軸の洗い出しやコピーの叩き台作成、トーン違いの言い換え、リライト候補の提示、注釈案の下書き、想定FAQの整理などのさまざまな工程でAIは非常に有効です。こうした工程をAIが担うことで、人間はゼロから考える負荷を減らし、より本質的な思考や判断に時間を割くことができます。
一方で、最終的な適法性判断、ブランド毀損リスクの評価、媒体特性を踏まえた見せ方の選択、どこまで攻めてどこで止めるかといった領域は、依然として人間が担うべきです。つまり重要なのは、「AIに任せるか否か」ではなく、どこまでをAIに委ね、どこからを人が引き受けるかという役割分担なのだと思います。
自動化が進んだ先で求められる「クリエイティブ法務」
ここで、「クリエイティブ法務」という考え方が重要になります。
広告表現の自動化が進むということは、制作量そのものが増えることを意味します。制作量が増えれば、当然、確認すべき表現、見極めるべき論点、調整すべき境界線も増えていきます。つまり、AIが制作を加速させるほど、むしろ人間による意思決定の重要性は高まるのです。
そのとき必要になるのは、完成物を最後に見て「これは危ない」「これはダメ」と返すだけの後工程法務ではありません。そうではなく、企画段階から入り、どこに論点があり、どこは攻められ、どこから先は危ないのかを翻訳し、表現が持つメッセージ性を損なうことなく、社会に受け入れられる形へと着地させる法務です。私はそれを、「クリエイティブ法務」と呼んでいます。
そして生成AIの浸透が進むほど、このクリエイティブ法務という役割がより不可欠な存在になっていくと考えています。AIは大量生成と一次整理を担い、クリエイティブ法務はその出力を、ブランド・法務・生活者感覚に耐える表現へと整えていく。言い換えれば、AIが候補を出し、人間が社会実装可能な形へ導く。その接続点に、これからの法務の新しい役割があるのではないでしょうか。
広告表現はどこまで生成AIで自動化できるのか
最後に、冒頭の問いに戻りたいと思います。広告表現はどこまで生成AIで自動化できるのか。私の答えは、次のとおりです。
広告表現は、生成・量産・一次整理のかなりの部分まで自動化できる。しかし
最終的な判断、責任、そして<通す>ための設計はなお人間の領域に残る
この線引きは、当面変わらないでしょう。
むしろAIが進化するほど、人間に残る仕事はより鮮明になります。それは、何かを単に生み出すことではなく、何を採用し、何を捨て、どこで責任を引き受けるかを意思決定することです。AIが候補を増やすほど、人間には「選ぶ責任」が濃く残ります。だからこそ法務も、最後に可否だけを告げる役割では足りなくなるのです。
広告表現は、AIによって確かに速くなります。しかし、最後にそれを社会に出せる形へ整えるのは、なお人間の仕事です。
その意味で、法務もまた変わらなければならない。止めるための法務ではなく、世に出せる形へ整える法務へ。生成AI時代に問われているのは、まさにその転換なのだと考えています。
この記事の執筆者
藤井 正則
フランス生まれ。欧州のメジャー映画配給会社に13年間在籍し、映画製作・配給やCM制作の現場において、渉外業務と契約法務の両面を担当。複数言語環境および異なる商習慣のもと、フランス共和国弁護士(兼 欧州弁護士 / 仏英・仏独)として活動し、常に最適解を追求する「クリエイティブ専門弁護士」としての経験を積む。 2019年より都内法律事務所にて外国法弁護士として勤務し、2022年に旧アイレップ(現 株式会社Hakuhodo DY ONE)に法務局の責任者として入社。2023年10月より「クリエイティブ法務」サービスを立ち上げ、広告・表現内容に関する全件審査を、法律とクリエイティブの両視点から一気通貫で対応中。 現在は、日本語・英語・中国語の各種契約書(米国各州法・中国法・英国法ほか)にも対応し、多言語・多法域にわたる広告・契約実務を担う法務スペシャリストとして活動。
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